ひとりを愛しつづける
遠藤周作のエッセイ
すてきな題名、中味はまぁ微妙
「沈黙」「侍」等、名作をモノした著者にしては論理がゆるく、一定の読者層に向けられた迎合性があまい(遠藤の作文には稀にこうしたことがおこる)、かつての日本社会を形成した一面的なおだやかな論調の延長にあたり、旧弊。現代に叶う普遍性にうすい
しかし。なんてすてきな表題だろう
『ひとりを愛しつづける』
ひとり、を、愛しつづける
なんど声にしてもあきない響きがある
「愛」を、みかえりを一切もとめない、無償のやさしさを限りなくそそぎつづける行為とすれば
「愛してるっ、と言ってぇ〜ん♡」
「おまえだけ、愛してる、ぜ(ブチュ♪)」
こんな愛はことばに馴れたかりごとにすぎん
モチロン。それは、それで善しです
(そんな愛ボクだっていつだってしたい)
人は古来、惚れやすいいきものと研究されていて、それが悪いことだとは思わない。だって、恋、は、いきることの現象の一環、おおくの人の人生に、なんどもくりかえす不断の一幕
源氏からこっち、ものがたりの中心をいちばん占めてきただろう主題は、まちがえなく恋
恋十色、おしみない恋は時にくるしみでもあるけれど、おこる前提としてのいのちの産物として、恋情があることこれは、やはり人であるごほうびの類だ
そこで🐥鳥
パタパタとりさん
よく聞くはなしだが、鳥さんの場合、大型の猛禽や鶴などは、よっぽどのことがない限り、ひとりを愛しつづける、のだという。契りをかわした相手をけっしてうらぎらない。連れ添いが亡くなっても再びの恋はせず、死ぬまで孤りを貫くコトも、あると云う
川ぺりや、氷原、あるいは山塊を孤り舞う、孤独な影は、うつくしい
逆におしどりなどはお盛で有名
ご乱行ですぜ和尚様的な
人類みな兄弟的な
おしどり夫婦、なんというかりそめ、あまりにも事実と乖離した喩えも、だから、いつも斬新で、ほほえましくすきだ
人間は、どちらかといえばおしどり的思想の実践者であって、猛禽的なふるまいは、あくまで。理性でおさえつけたもの
🙈🙉🙊猿から進化した我々にとって本質的に、ひとり、を、愛しつづけることは至難なのだろうか、ともおもう
仮に、ひとりを愛したとして
じゃそのひと以外は愛さないのか?
ひとつのいのちを愛する人が、他の「ひとり」を愛するとなると途端に難しい。愛さないばかりか、敵とみなすこともすくなくなくて、そんな、特定のひとりを愛せても、他のおおくは、愛さない「愛」を、もちろん無意味だとは思わないが、ほんとうの「ひとり、を、愛しつづける」は、やがてきっと「みんな」を、いつまでも愛しつづける。そんな愛だと思う
世界を愛する
すべてを愛する
そんな夢をみて
南極外洋を周回するアホウドリ
みなみへと去った、ツバメたち
こんやはトリ刺し🐣
うまれかわれるなら、鳥たちよ
ホークス勝利で盛り上がった昨晩の、小料理屋だった
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